虐殺現場への道
虐殺現場
当時は潅木や大木に覆われていて、自生の山芋が多かったという。 |
美村の英魁原さん(1929年生) 「村に遊撃隊がいるといって日本軍はなんども襲ってきた。 |
美村の梁愛梅さん(1937年生) 梁愛梅さん
「3才のとき母が日本軍に斬り殺された。母はわたしをからだで覆うようにしっかり抱きかかえてくれた。 |
美桐村の廃墟 |
美桐村は、日本軍になんども襲撃され、無人村にされた。 |
美桐村の西の「処刑場」跡日本軍が侵入してきたころは、このあたりは密林で、村の西に池があり、そのそばで日本軍は何人もの人を「処刑」した。 |
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林紹富さん(1933年生) |
林紹富さん |
日本軍が襲撃した王綏川さんの家の跡王綏川さん(1931年生) |
美良村の周光春さん(1924年生)日本軍に姉を殺された日本軍によって廃墟とされたままの王綏川さんの隣家の跡 |
王禄全さん(1911年生)と
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焼け残った材木を使った家の柱 |
蘇家礼さん(1929年生) 「2年間、逃げて山で暮らした。食べるものがなかった。
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『符氏族譜』の符功欽さんの名のところに 「抗日犠牲」と書かれている |
蘇雪香さん(1923年生) 符功欽さんの妻 「16歳のとき結婚した。
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